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Randoの面白さから感じるコミュニケーションの貧困さ
最近、Randoというアプリにはまってる。

Randoは非常にシンプルなアプリで、写真を撮って送るインターフェイスのみと言っても過言でない。

Randoに写真を送ると、世界の誰かにいつか届く。それだけ。そして、自分にも世界の何処かで誰が撮った写真が届く。

↑届いた写真。(写真を送ると、1枚毎に世界のどこかで撮影された写真が届く)

↑写真をタップすると、どこで撮影された写真か地図がでてくる。


もうひとつはdubbleというアプリ。これは、写真を送ると誰が撮った写真と合成して送られてくる。予想外のコラボに心ときめく。

↑写真を送ると、すぐに誰かの写真と、いい感じで合成されて送られてくる。
 

undefined なぜ、こんなにも心地いいのか?undefined
シンプルなUIはもちろんだが、何で今これが気持ちいいのかを勝手に分析する。(悪い癖である)


たぶん背景には、ソーシャル上での顔見知りによるつながりによる息苦しさがあって、一方で外国にいる誰かわからない人と、一瞬を共有するという楽しみ。そう、まるで外国の知らない人と文通するかのような感覚。

おかしいよね。
そもそもインターネットって、それを便利に使える手段なはずなのに

僕もインターネット始めた当初、英語の勉強のつもりで、どこかのBBSで外人とチャットした時すごい興奮したものだ。
ICQがでたときなんて、オンラインかどうかがわかるだけで、「今この瞬間を一緒に生きてる!」なんて意気揚々になってる自分もいたもんだ。

それがいまや、ソーシャル上に共通の知人が何人いるのか?この人と接していいのか?ツイートチェックしてみる…とか、コミュニケーションに臆病になってる自分がいる気がする。



これは、どういう状態なのか?



「人付き合い」って本来、もっとドロドロしたもので、お互いが真剣に駆け引きをしながら、自身のアイデンティティをぶつけ合う、いわばコミュニケーションは戦い。

転校した経験が複数ある人はわかるかもしれないが、最初の挨拶ひとつから、バッチバチである。失敗すると、そのレッテルを覆すには時間がかかるからだ。


ソーシャルメディアは非常に便利である、繋がっときさえすれば、相手の動向もキャッチできるし、いざとなったら連絡も取れる。悪くはない。

…でも、その都合の良さに甘えがちな気がする。

まさに「いつでも連絡とれる」=「しょーもない事しか連絡しない」


もー、電話から始まってポケベル、メール、しょーもない度が増してしまってしょーがない。

最近、電話かかってきたときに、どんだけ自己中なリクエストやねん、俺の時間は貴重なんやで!とさえ勘違いがまかり通る気にさえなる。
※いや、これは電話よこすなという意味ではない。


要するにコミュニケーション手法が便利になればなるほど人はセルフィッシュに物事を考える。


このままいくと、人と人がお互い分かり合える深さがどんどん薄くなって行く気がしてならない。


しかも、面倒くさいから、それでさえもいいような気がしてくるほど、あちこちのデジタルコミュニティに気配りしている。


そんな見えない相手と常に戦う理不尽さの中に、皮肉にもデジタルアプリがアナログなコミュニケーションの基本を気づかせてくれる気がするから、このアプリは心地よい。


いじょう。selfish end

 
| 日常メモ | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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